あいいろ探鳥記

ぼそぼそとしゃべる日記

わたしが最近よく写真を撮るわけ

 

私は美術部に在部している

 

 

校舎の三階の端の方、

「文化棟」と呼ばれたりしていて、用のない人たちはほとんど出入りしない美術室の、そのまた奥に私たち二年生13人はいる

 

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朝、登校すると私は部室に向かう

 

一人がけのソファがふたつと、三人ほど座れる長いソファが背中合わせに置かれていて、春先の大掃除で広くなった部屋の中央に向けてイーゼルが13個並んでいる

 

それぞれの作業スペースには、多肉植物や香水のビン、ヘッドホンやギター、のこぎりや図書室から借りてきた本やお菓子のゴミなどが、整頓されたり床まで散乱したりしてそれぞれの場所に置かれている

 

カーテンは大体閉まっている

油絵の制作時に光があると反射して作品が見えなくなるからだ

 

 

 

外の天気や日暮れに関わらずいつも薄暗いその部屋で、私はこれから始まる「今日」に備える

 

 

どうしてなのか、私たち二年生にはクラスでうまく過ごせない人が多い

 

お世辞抜きにみんな素敵な人たちである

 

きっと繊細な人たちばかりだからじゃないかと思っている

他の人が気にしないような言葉や行動に敏感だったり、クラスの「違和感」に立ち向かう人がいたり、「自分」を大切にしている人だったり、理由も様々だと思う

だから、部室に帰ってきた途端に泣き崩れる人もいる

 

 

朝部室に来て覚悟を決め、クラスという戦場を耐え抜き、心がくたくたになって帰ってきたなら、お互いを労いその日の勇気を讃える

 

そして迫る締切に向けて作品を描く

日中の騒がしさをよそに自分と向き合う時間は格別なものだ

 

 

 

部活の人たちは、私が惨めさや拙さにぼろぼろにされていても馬鹿にしない

「今日の空はきれいだね」と言ったなら「地球のまるさを感じるねえ」とか「ほんとうだ」と返ってくる

今日の晩ご飯はなんだろう、寒いから鍋がいいなあ、お腹空いたなあ...

 

小さなことでさえも日常の鮮やかなモチーフとして分かち合える

 

 

 

愛おしい、愛おしいと思う

 

 

人間誰しも友人家族といえど他人である以上、分かり合えないことや違うことはたくさんある

 

もちろん私たちにもある

それぞれが「自分」を大切にしているからどうしてもぶつかることも多くなる

それで崩れそうになる時も何度かあった

 

けれど「それがあなたなんだね」と受け取り、もう一度、と進みだす

 

 

 

私は、私なりに様々な人たちと関わって傷つき、学び、変わった

 

みんなもそうだと思う

 

出会う前からそれを繰り返してきたり高校に入ってから変わりだしたりしてきたはずだ

 

 

 

私はまだ何も知らないけれど

この出会いがこの先の私の人生において、きっと何度も私を導いてくれると思っている

 

どんなに苦しんでも涙を流しても、ふとこの時間を思い出すだろう

 

埃くさいあの狭い部屋でギターをかき鳴らす

すると歌声が飛んできて、誰かが踊りだし、ゲラゲラと笑う

くだらない、馬鹿馬鹿しいと笑いながらまた絵を描き始める

袋菓子を開けてみんなでぎゃあぎゃあいいながら取り合う

 

この素晴らしい時間は永遠ではないこと、そう遠くないいつか、みんなばらばらになってしまうこと

 

分かっているような、分からないような

 

その「いつか」はまだ来ない気がして、でも確実に何かが変わっていくのは感じていて

よく分からない焦燥感と悲しさが時々襲ってくる

 

 

だから、私は写真を撮り始めた

 

 

以前から撮ってはいたけれど、

もっとたくさん、たくさんだ

 

この時間を忘れないように

誰かが、いつかまたふと思い出して見返すとき、また進み出せるように

 

展示会の受付だ、合宿だ、クリスマスパーティをしよう、学祭だ、

お菓子をほおばっている

ギターを弾いて歌っている

髪を結ってあげている

 

 

愛おしいこの時間を抱きしめていたい

出会えたことをいつまでも歌っていたい

 

 

 

 

おはよう、また今日も憂鬱だ

愛おしいあなたたちに会うために

今日も一日やってやろうじゃないか