あいいろ探鳥記

ぼそぼそとしゃべる日記

逃げ癖と合唱団のこと

特にオチもなくほんとにただのだべり書き  自分語りの極み

 

 

 

 

私には逃げ癖がある

 

というかついてしまった

嫌な物事、人からはすぐに逃げる

面倒なことに巻き込まれたくないし何より嫌な気分になりたくないから

 

付き合って裏切られた人とは一切目を合わさず一言も喋らないようにした

クラスで少しでも居心地が悪ければ部室に逃げた

出来ない、やったことが無い事は怖いから手をつけない

 

自分がぼろぼろになるのがとても嫌だ

疲れる

だから逃げる

 

 

 

 

私は小学生のとき合唱団に入っていた

 

歌は歌えなかった上に、始めたのは小五の秋という半端かつ遅い入団だった

今その条件で「やってみたい」と思ったとしても確実に諦めると思う

 

どうして始めたんだろうと考えてみると、理由は至極単純で

「かっこよかったから」だった

 

学校で度々発表していた姿を見て、かっこいいと思ったから始めた

母にも「じゃあやってみなさい」と言われてクラスの子に連れてってもらいすぐに体験に行った

その子だって特別親しかった訳じゃない

歌の知識も経験もまったくない

でもその日からちゃんと卒業まで毎日練習に出続けた

きっと誰よりも練習に出ていた

 

もちろん結局トップになる訳でもソロを歌えたわけでもないし、一年半やっていても合唱団と授業以外で歌ったことはただの一度もなくて、自分の声も知らなくて、歌うのが楽しくて来ていたのかと言うと、ただその太い音の筒の中に自分の声も入って、重なって、遠くへ飛んでいくような感覚が心地よくてやっていたような気がする

 

 

ぼんやりと思い出すのは靴下で上がる音楽室の硬いマットの感じと始めて輪の中に入って歌った時に嘘みたいに流れた汗とステージに立った時の眩しすぎる照明と帰りに貰う美味しい飴の味で

 

確かに出来ないことは苦しくて向けられる視線も辛くてやめたいと言った時もあって

 

でも、ペンの印も入ってなくてくたびれてないまっさらのホチキス止めの楽譜をもらった時の、あの宝の地図を手にしたような高揚感と、もらってすぐに五線譜を追って口ずさむ見ず知らずの音階の美しさはずっと素晴らしくて

 

怖かったけど、怖くなくて

 

その頃の私が今の私には全くの他人のように感じる

 

 

 

何がどこで変わったら、こんな風になるんだろう

 

新しいことは出来ないから怖い

出来ないと馬鹿にされるから

その視線で傷つくのが怖いから

傷つく自分に気づくのは惨めだから

 

違う

 

馬鹿にする人なんていないことを知ってる

本当に大切な人、部活の人はそんなことで馬鹿にしない

そんなことで冷たい視線を向ける人間を気にする必要も無いことも知ってる

 

 

私は私のご機嫌取りに忙しい

 

いつか自分に呆れ果てて捨てられることが怖い

 

篠笛も触ることさえ本当にいやだ

怖い

やらされている訳じゃない

自分でやろうとしたはずなのに

楽譜も見るのが怖い

 

ずーっと自分と何かがわかれたままふらふらしてる気がする

動かない自分をすごく遠くで自分が見ていて「どうして動かないんだろう動けばいいのに」と他人事のように毎日生きてる気がする

 

 

 

新しいことは新しくて楽しい

新しいことは新しくて怖い

 

 

 

知っているのに何も持ってないのに壊れるのが怖くてしゃがみこんでいる

 

 

 

みんなどんどん新しいことに飛び込んでいく

苦しそうだけどみんな楽しそう

かっこいい

美しい

いいなあ

 

 

 

出来ない理由も出来る理由も全ては自分の手の中

 

 

知ってる

 

 

自分のためにしか生きてないのに

自分を良くしようと思う程は自分が好きじゃない

 

堂々巡りのくだらない小さい思考

 

 

 

 

ギターを弾けるようになりたい

歌を歌えるようになりたい

ダンスを出来るようになりたい

凛として美しい人になりたい

いつも機嫌の良い人になりたい

愛される人になりたい

 

 

何も無い

何もなし得ないかもしれない自分しかいない

 

みんな他人

 

何もなし得ず消えても人にとって私は他人

 

出来ない言い訳も過ぎ去る人の中ではただ空気

 

自分を侵す毒になるだけ

 

 

 

今はただ、悩むならば進む人になりたい

それだけでいい